上角善之 SE構法との出会い

上角善之 SE構法との出会い

二十で入った大工の世界

20歳の頃、広島工業大学を2年で中退し、工務店を営み大工をしていた父を手伝うこととなりました。
最初は大工道具の手入れを毎日毎日やらされ、家造りとはかけ離れた面白くない生活を送っていましたが、少しずつと色々な事を任されるようになり、4年後には1軒の家が造れるようになっておりました。

最初に自分が墨付けをし木材を刻み無事家が完成した時はものすごく感動し、仕事の責任と面白さを味わう事ができました。
25歳の頃には大工仕事をしながら見積もりも行い段々と工務店経営のようなことをやり始めました。

26歳の時に、工務店から株式会社に変更しました。
この頃から現場半分、事務仕事半分と言うスタイルになっていました。
31歳の時に阪神淡路大震災があり、応援で三宮のマンションの改修工事を少し手伝ったのですが、住宅がつぶれたり、ビルが倒れていたり大変な光景を目の当たりにしておりました。
以来私の建てた住宅には筋交いと共に外壁下地に合板を貼り続けております。

家造りの勉強に没頭した三十代

34歳で代表取締役に就任しお客様にもスタッフにも責任の重大さを痛感し痩せる思いで仕事に取り組んでおりました。
この頃はもう大工仕事はしなくなり、代わりに家造りの勉強をしていました。
と言うのも木造住宅が色んな機能や性能を持つようになり、私が造る住宅にどんな付加価値が付けられるのかを真剣に考える様になったからです。

丁度この時期に自宅を新築したのですが、構造は在来木造でごく普通の住宅でした。
がその2年後にトステムの高気密高断熱住宅を知り、超快適な温熱環境の生活が実現できるようになり、ちょっと早まったかなと後悔しました。
それからまた数年の間に構造の面で在来木造の骨組みに新しい金物を取り付けて建てる丈夫な骨組みの工法に一速く取り組み、何棟も建てました。

SE構法と出会い、新事務所を建設

そんな中、九州の住宅展示会で現在のSE工法に出会ったのですが、金物工法を取り組んでいた私でもSE工法の金物の強度・骨組み・構造計算等にはほんとに驚かされました。
いっぺんに気に入った私は早速SE工法加盟店となり海田の狭小敷地に3階建て木造住宅をSE工法で建てました。
初めてのSE工法は基礎から頑丈に作るのでびっくりする事ばかりでしたが、予想どうりに丈夫な大空間ができました。
これに気を良くした私は数年前から念願していた新事務所の計画が40歳の時に具体化し厄払いの意味もあり思い切って新事務所を建設しました。
当然SE工法で、変形敷地に8角形を組み合わせた在来木造では不可能だった空間が見事に完成したときには、力を貸して下さった皆さんに本当に感謝感激でした。